カテゴリ: SL撮影(現役)

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私が写真を撮り始めたのは、小学6年生の頃ですが、その頃は未だ白黒がメインでした。

フィルムの値段、現像代、プリント代共に白黒とカラーでは全然違っていて、

そうそうカラーでは撮れなかったですね・・・

メインのフィルムが当時の富士フィルムの「ネオパンSS」でした。ASA100

少々高値の感度が一段高いのは「ネオパンSSS」ASA200で、

白黒の高級品ASA400がコダックのトライX・・・懐かしいですね。

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1973年2月11日撮影 関西本線 加太近郊
ネオパンSS フジカコンパクト35「バカチョンです」

1973年8月に訪れた鳥取県の「倉吉線」ですが、

蒸気機関車の廃止は1974年、その後1985年に廃線となりました。

地図で幾ら見ても判らない旧線路跡ですが、

最近グーグルアースの上空からの写真を見て判明しました。

よ~~く見ると、いかにも道路じゃない不自然な細い通路のような物が見えます。

それで一度行ってみようと訪れました。

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倉吉線に最初に訪れた場所が此処「上灘駅」でした。

ここで駅に到着する列車を撮影し、前に回ろうとしましたが、その前に発車!!

去って行く列車を後方から見る事になりました。

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到着する列車
下は現在の同所
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発車間近の列車と現在の同所、
右端のお家で確認できますね・・・
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屋根の形が違うようにも思いますが、現在このお家の向こう側に家はありません。
昔はその向こうにも別の家があったのかもしれませんが・・

その先、倉吉方面に行ったところにある鉄橋です。
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現在は跡形もありませんが、対岸に見える建物が同じだと言う事は分かります。
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例の福知山線事故以来、派手なイベント事は自粛気味だったJR西日本が、
 
梅小路蒸気機関車館に動態保存中のD51の内、200号機を車検受けして
 
本線復帰させると発表し、先日は新聞(朝日)に、
 
ボイラーを外して修理に出す様子が掲載されました。
 
何でもやまぐち号のC57 1号機と、北びわこ号のC56 160の内、
 
C56 160を休ませるのか??増車するのか??
 
取り敢えずD51の復帰は喜ばしい事です。
 
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写真は昭和50年1月15日に梅小路で撮影したものです。
 
この当時は未だ車検があったかも知れませんね。
 
梅小路は大阪の交通博物館が廃止になり統合される関係上、
 
更に多くの車輌を保存する事になります。
 
D51は現在1号機と200号機がありますが、交通博物館の2号機も加わることになりますよね。
 
200号機は現役時代、岐阜県の中津川機関区に所属し、中央西線の山線で使われました。
 
200号機が梅小路へ去った後の中央西線を訪れた時には、隣番の201号機を撮りました。
 
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昭和48年3月25日、南木曽駅にて撮影
 
中央西線は、同年7月に全線電化が完成し、SLは廃止されました。
 
中津川区、木曽福島区のD51の大半が廃車されましたが、
 
車検が多く残る状態の良い機関車が数機
 
本州最後のSL基地、山陰本線の浜田、長門市両機関区へ転属しました。

本日8月12日は、
 
40年前に鳥取県内の倉吉線でC11の撮影をした日でした。
 
(倉吉線は既に廃止されております。)
 
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1973,8,12 倉吉線 関金~上小鴨 422レ C11 261(米子機関区所属)
 
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上記写真を撮影後、撮影場所から関金駅方面に戻り始めた辺りで、同行の母親が撮影
 
列車の発車時間(7時47分)から考えると8時頃の撮影でしょう・・・
 
当時の神戸市内の公立中学校は丸坊主が強制されていました。(野球少年ではありません)

数日前の夜中に、何だか目が覚めて眠れず、
 
開き直ってテレビをつけました。
 
見たのはNHKでしたが、アーカイブで現役時代のSLの映像でした。
 
最初は私が生まれるよりも古い時代の映像でしたが、
 
その後は私時代の正に「ストライク」映像、しかも比較的西日本の物でした!!
 
これは見ておかないと・・・と見ていると、
 
昭和45年「山陰線」としてC11が映りましたが、
 
見た瞬間「これは倉吉線や!!」と分かりました。
 
しかも私が昭和48年に訪れた場所で、機関車も同じC11 261号機でした!!
 
全身に鳥肌が立ちました!!
 
結構私が訪れた場所が映りましたが、機関車まで同じとなればなおさらです。
 
その後は、未だD51が現役だった頃の山口線や、山陰本線の有名ポイント等が映し出され、
 
またまた「今度は倉吉線として」昭和47年撮影の同じ鉄橋の映像が登場!!
 
今度は米子機関区の別機のC11 41号機(その後倉吉線のSLさよなら列車を牽引することになる)
 
で映しだされた映像は、正にそこに子供の頃の私が立っていた・・・と言う場所でした。
 
もう鳥肌どころではありませんでした。その後はますます寝れなかった事は言うまでもありません。
 
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昭和48年8月 倉吉線 倉吉~上灘 C11 261 米子機関区所属
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当時の倉吉線の時刻表です。
 
列車番号の後ろにDが付いているのはディーゼルカー(気動車)。
 
番号だけの列車が全て蒸気機関車の列車です。
 
折り返し駅にターンテーブルがないローカル線では帰りの列車は機関車が逆向きになります。

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