私は、学校を出てすぐに仕事のためアメリカに渡りました。期間は1981年の春から冬までです。
仕事柄、運転免許が必要ですので渡米して間もなく現地で免許を取りに行きました。
当時やっと日本語でも学科試験が受けられるようになったようで、私は迷わず日本語の学科試験を申し込みました。内容自体は簡単なんですが、多分英語の問題を日系人がたどたどしい日本語に翻訳してくれているため。訳の判らない問題が数問あり、手こずりました。
その後は標識を見せられ何の標識かを説明させられますが、ここでは日本語は通用せず全て英語です。
標識は解っても説明がうまく出来ず、身振り手振りで何とかクリアー!!
いよいよ実技試験に進みます。これがお笑いなんですが、そもそも試験日に自分の車を持って受験会場へ行かなければいけません。と言うことは少なくとも行きは無免許なんですよね。
実技試験は教官を助手席に乗せて言われるままに一般道を運転するんですが、私が乗せたのは結構おとしのおばさん教官でした。言われる通りに運転していると、突然親子が飛び出して来ました。私はさして慌てることなくブレーキを踏んで減速したんですが、助手席の彼女は身体を硬直させ、顔を引きつらせながら悲鳴をあげておりました。そして私に「クレイジー ピープル!!」と言いました。
それから一方通行の細い道に入った途端、来るはずのない対向車が結構なスピードで迫って来ました。この時もさして慌てず車を道路端に寄せて行き違ったのですが、当然彼女は大声で叫びながら、その対向車に罵声を浴びせ、私に向かって「クレイジー ドライバー!!」と言いました。
試験場に帰り着いてから彼女が「日本で免許を持っていたのか?」と聞くので「Yes!」と答えるとやっとにっこりしてくれました。免許書の交付はその日に受けました。

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ホームページの方でも報告しておりますJA22のトラクションリンクの試作、実験の模様をお伝えします。
この車は、グレースサスの40mmアップコイルとGABのショックを組み合わせてリフトアップしておりまたが、実はGABのショックでは、グレースサスに対して少し短いため、サスストロークがそもそも損をしている状態でした。
そこで、トラクションリンク装着に当たってフロントにはショックに延長カラーを装着しました。
リアは急場しのぎにJB23用リア純正ショックを装着(ブッシュの入れ替えとスペーサーを使用)しました。
以前に犬ション台で計測した数字は41cmで、その時たまたまあったJA11のグレースサスフルキット仕様は48cmでしたが、上記加工後トラクションリンク装着のJA22は何と54cmまで登ることが出来ました。
凄いですね~!!未だ暫くはテストします。

今から30年近く前、イーグルスのホテルカリフォルニアが大ヒットしていた頃。
実はこのアルバム、全米ヒットチャートの1位になったのは確か1~2週だけでその後約半年間はチャートの2位でした。
じゃあその間1位だったのは?だれの何と言うアルバムか?
それは、フリートウッドマックの噂「ルーモアーズ」と言うアルバムで、日本では圧倒的にイーグルスのホテルカリフォルニアの方がヒットしましたが、本国アメリカでは、マックの噂は1000万枚以上のヒットで後のマイケル ジャクソンのスリラーに抜かれるまでは記録ホルダーでした。
そんな全米ヒットチャート1位の真っ直中、何と彼らは来日公演を行ったのです。
そして私はそんな中、大阪の万博ホールで行われたコンサートを見ることが出来ました。
何より驚いたのは、開場前に入り口前で行列している中、何とメンバーを乗せた車が到着!!全メンバーがすたすたと駆け下りて会場に向かいました。当然行列は蜘の子を散らしたように崩れ、(私も突進しましたが)メンバーの後ろ姿をほんの至近距離から見ることが出来ました。誰かが大声でスティービーニックスに声を掛けましたが(勿論英語でした)、彼女は振り向きもせずに会場に向かいました。いや~興奮しましたね~。始めて見た外国人アーティストでした。その頃は見たいと思うアーティストが来日することが殆どなかったから非常に鮮明に覚えています。

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