伯備線を訪れたのは、ディーゼル化される二ヶ月前でした。
なのでこの写真のように補機がディーゼル機関車DD51との重連ばかりで、蒸気同士の重連は既に走っていませんでした。
しかし、伯備線での長い重連、三重連運転の歴史からすれば、蒸気同士で走っていた期間は相当長い歴史が有るはずですが、ディーゼルと蒸気が重連を組んだ期間は多分数ヶ月しか無いでしょう!そう考えるとこのような当時は「価値無し」のように思った写真の見方が変わりますね。
この写真はこの日最も北へ移動した 上石見から新見方面へ発車するDD51+D51 758の重連です。
D51 758は昭和46年に伯備線にお召し列車(天皇陛下を乗せて走る列車)が走った時、本務機は同じく新見機関区のD51 838でしたが、予備機として同様の整備、装飾をされた機関車で、未だクランク周りに塗装が残っているし、ランボードの白線もあり、他の機関車よりも数段綺麗でした。
なのでこの写真のように補機がディーゼル機関車DD51との重連ばかりで、蒸気同士の重連は既に走っていませんでした。
しかし、伯備線での長い重連、三重連運転の歴史からすれば、蒸気同士で走っていた期間は相当長い歴史が有るはずですが、ディーゼルと蒸気が重連を組んだ期間は多分数ヶ月しか無いでしょう!そう考えるとこのような当時は「価値無し」のように思った写真の見方が変わりますね。
この写真はこの日最も北へ移動した 上石見から新見方面へ発車するDD51+D51 758の重連です。
D51 758は昭和46年に伯備線にお召し列車(天皇陛下を乗せて走る列車)が走った時、本務機は同じく新見機関区のD51 838でしたが、予備機として同様の整備、装飾をされた機関車で、未だクランク周りに塗装が残っているし、ランボードの白線もあり、他の機関車よりも数段綺麗でした。